Netflixで見られる2019年の台湾映画『ひとつの太陽』(原題:陽光普照)は、少年犯罪、未成年の妊娠、不器用な家族愛などを描き、アカデミー賞へのノミネートも期待される大作だ。本記事では長男アーハオのモデルになった人物や、「司馬光の水がめの話」などを中心に、各登場人物が抱える影と作中の暗喩ついて考察する。
『ひとつの太陽』あらすじ
チェン家の次男阿和(アーフー)は事件を起こして少年院に送られる。ある日、妊娠したアーフーの幼い彼女小玉(シャオユー)がチェン家を訪れ、母の琴姐(チン)が世話をするようになる。一方、自動車教習所の教官として働く父の阿文(アーウェン)は、医大を目指す優秀な長男阿豪(アーハオ)に希望を寄せる。しかし、明るく振舞うアーハオは内心秘密を抱えており……
本映画は、台湾・中華圏の映画賞「ゴールデン・ホース・アワード」(金馬奨)で作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞など数多くの賞を受賞。トロント国際映画祭、釜山国際映画祭、東京国際映画祭にも正式出品。また、米ヒューストン映画批評家協会の「外国語映画賞」を受賞し、さらには第93回アカデミー賞国際長編映画賞のショートリスト(ノミネート前の最終候補)に選出されている。
▼予告編(英語字幕つき)
以下ネタバレにご注意!
阿和(アーフー)|非行に走るも根は優しい次男
阿和(陳建和)/ アーフー(チェン・ジェンフー)
演:巫建和(ウー・チエンホー)
アーフーは両親を悩ませる非行少年で、映画の冒頭から事件を起こして少年院に送られる。なぜ彼が非行に走ってしまったかは、優秀な兄に比較されるプレッシャー、父親からの愛が足りなかったことがやはり大きいだろう。ただ、少年院に送られたあと、他の少年のレベルに合わせて、分かりやすい例えで九九を教えたり、お弁当のおかずを分けたりするシーンを見ると、彼は本当は賢くて優しい子であると分かる。
台湾の少年院のことを知らなかったので調べてみたら、映画内で言及された通り、桃園と彰化の2か所に少年院(台湾では「少年輔育院」という名)が設置されている。また、2019年に矯正学校になり、「受刑者」としてでなく、「学生」として教育を受け、社会復帰をしやすいよう制度が変わったという(※1)。
本作における少年院の描写を見ると、アーフーや他の少年たちは、はじめ喧嘩腰で荒々しい性格であったものの、アーフーと打ち解けると、実は優しい性格で、授業もしっかり受けたり、ルールもある程度守っている点が心に残る。
実際、監督の鍾孟宏(チョン・モンホン)はインタビューの際に、映画製作にあたって何度か少年院を訪問したと話している。監督によると、少年たちは入れ墨が入っていたり、荒々しく見えるが、根は純粋で、単に勉強が苦手なだけの17、18歳の子供たちなのだという(※2)。世間が想像する非行少年とは異なる一面を、監督は映画を通して伝えたかったのだ。
※1:「少年輔育院」走入歷史 改制成矯正學校 | 公視新聞網 PNN
※2:專訪《陽光普照》導演鍾孟宏:生命說不清楚的餘韻後,你想到什麼?|風傳媒
阿豪(アーハオ)|優秀で明るく、実は影を抱える長男
阿豪(陳建豪)/ アーハオ(チェン・ジェンハオ)
演:許光漢(グレッグ・ハン)
問題児アーフーとは対照的に、長男のアーハオは医大を目指す浪人生で、両親が期待を寄せる優等生。優しく穏やかな性格だが、弟の事件を機に悩みっぽい表情を見せるようになる。そして、長男の自殺によってチェン家は暗雲に覆われる。
なぜ完璧なアーハオは自殺してしまったのか。正解はないが、浪人生として医大を目指すプレッシャー、親から過度な期待、さらには弟と親の関係性について苦しんでいたためと推測される。
医大を目指すプレッシャー
映画の前半にアーハーが予備校に通い、大勢の学生に囲まれるシーンがある(上記写真)。自我を失ったかのように眠る周りの学生と対比して、一人だけ目は覚めているアーハオの眼差しは、受験マシーンと化した現状に疑問を感じていると語っているようだ。
ちなみに、日本人夫はこのシーンを見て「台湾の予備校ってこんなに密で過酷な環境なの?」と驚いていた。予備校は通っていないので分からないが、私が高校生だったころに通った台北駅付近の塾も似たような雰囲気だった。もちろん映画よりは明るい雰囲気で、ジョークやユーモアを効かせた授業がとても面白かったが、人気教師の授業は100名以上の学生が集まるので、教室にはずらりと人が並び、座席も指定されていたのだ。
両親、特に父親から愛されない弟への思い
受験のプレッシャー以外に、アーフーと両親、特に父親との関係性が、何よりもアーハオを苦しめていたに違いない。彼が動物園に行った後に残した以下の言葉からその苦悩を読み取れる。
「這個世界最公平的是太陽,二十四小時從不間斷,明亮溫暖、陽光普照」
日本語訳「この世界で一番美しいのは太陽だ。二十四時間輝き続ける。太陽は明るく暖かい。ひとつの太陽。」
映画『ひとつの太陽』より
中国語のセリフ「這個世界最公平的是太陽」は直訳すると「一番公平なのは太陽だ」という意味。そして、映画の原題にもなった「陽光普照」は「この世の万物をあまねく照らす太陽」の意味となる。「公平にすべての人を明るく、温かく照らす」ことをアーハオは理想としていた。しかし、自分は弟にとって、優秀で巨大な壁となり、親からの愛情(=光)を遮り、弟に影を落としてしまう。そのことで自分を許せず、自分の存在を消してしまったのではないか。
「司馬光の水がめの話」:もう一人の影の自分
また、アーハオは同じく予備校に通う女の子郭曉貞(グオ・シャオゼン)に「司馬光の水がめの話」をする。司馬 光(しば こう)は中国北宋(11世紀頃)の有名な儒学者、歴史家、政治家で、『資治通鑑』(しじつがん)という歴史書を編纂し、幼少期から聡明なことで知られる有名な人物である。彼の「神童伝説」について、Wikipediaの説明を見てみよう。
司馬光は、幼少の頃から、神童として知られていた。7歳の時には左氏春秋の講義を聞き、家に帰ると、家の人たちに、聞いてきた内容の講義をしたという。また、子供の時分、庭で友達と遊んでいたところ、仲間の一人が誤って水がめに落ちてしまったが、他の子供は何もできずにただおろおろしていた。司馬光は、落ち着いて石を投げて水がめを割り、水を抜いて仲間を救い出したという。
Wikipedia「司馬光」
たった7歳の年で冷静沈着に水がめを割ったエピソードは有名で、台湾でも本や授業で習うことが多い。ただ、映画内では以下のように脚色されている。
司馬光は友達とかくれんぼをしていた。最初の鬼は司馬光で、友達を全員見つけた後、彼は「一人いない」と言った。皆周りを見渡して「全員いるよ、誰がいないの?」と聞いた。でも司馬光は「絶対に一人いない」と言い張った。皆は困りつつ、彼の言うその一人の友達を探し始める。しばらくすると木の下で大きな水がめを見つけた。司馬光は大きな石を拾い、水がめに投げると、水がめは割れ、その中に小さな子供が座っていた。そしてその子供は、司馬光自身であった。
映画『ひとつの太陽』
この話は学校でも本でも読んだことがなく、調べてみたら、台湾の作家「袁哲生」の小説『寂寞的遊戲』(「寂しいゲーム」の意味)が原典となっていると分かった。実は、作家の袁哲生は2004年に38歳の若さで自殺し、文壇に衝撃を与えた。さらに、『ひとつの太陽』の脚本家・張耀升(チャン・ヤオシェン)によると、アーハオが太陽のように暖かくて優しい性格だったのに、突然自殺して周りを驚かせる人物設定は、袁氏をモデルにしているという(※3)。
もちろん、作家の袁氏と、『ひとつの太陽』のアーハオが自殺した理由は誰にも分からないし、「理由がない」可能性もある。ただ、司馬光が水がめで見つけたもう一人の自分は、ユング心理学でいう「影(シャドウ)=もう一人の自分、自分が認めがたい影の部分」を暗示していると思われる。アーハオは動物園に行った後、「動物も司馬光も隠れる日陰があるのに、自分だけない」と感じ、周りに対して完璧な存在(=温かい太陽)として振舞い、自分の暗い部分を隠し続けることに疲れ、自殺してしまったのだと思う。
※3:陽光多麼充足溫柔——《陽光普照》的阿豪與小說家袁哲生|小川林|鳴人堂
阿文(アーウェン)|愛情表現が不器用な父親
阿文 / アーウェン
演:陳以文(チェン・イーウェン)
父のアーウェンは自動車教習所の教官として働き、不器用だが必死に息子を守ろうとする結末には涙した。末尾で母親から「あなたは一体息子に何をしてあげたの?」と責められた後、実は息子思いで、弱くて不安な気持ちでいっぱいだったのに、精いっぱい息子を助けてあげようとしたアーウェンの本心が明かされる。
なお、多くの方に指摘されている通り、映画の英語タイトル“A Sun”(ひとつの太陽)は“A Son”(一人の息子)と発音が同じだ。アーウェンは教習所の生徒に「息子は一人しかいない」と2回ほど言ったが、初回は優秀な長男のみ認めており、二回目は唯一生き残っている次男のことを指している。
彼の最後の行動は賛否両論だが、長男が亡くなった後、「死んだのがお前なら良かった」などの考えを持つこともなく、実は次男を陰ながら見守っていた場面にはとても感動した。
琴姐(チン)|自分の弱さをさらけ出せない母親
琴姐 / チン(チン姉の意)
演:柯淑勤(コー・シューチン)
母親の琴姐(チン姉)は完璧で強い母親像を体現している。アーフーの15歳の彼女、小玉(シャオユー)が妊娠したことを知ると、アーウェンの反対を押し切って引き取ったり、自立できるよう仕事を教えたり、店舗も借りたりと、頼られている子がいるからか、強くしなやかに生きているように見える。
他の家族同様、彼女も何か「影の一面」が隠されているはずだと思ったが、次男の非行に対する悩み、長男を亡くした悲しさなど、色んな苦悩を隠しているのに、なかなか彼女の本音が分からない。タバコはいつも台所に隠れて吸い、シャオユーの妊娠も終始アーフーに隠し、長男アーハオが父親からもらったノートは実はすべて白紙だったことを知っても、「お父さんには黙って」と次男アーフーに伝えるように、彼女は常に自分の弱い一面を隠し、周りにも隠していると考えられる。
ただ、最後のシーンでアーウェンから真実を打ち明けられると、彼女は泣きながら夫と抱き合い、その瞬間眩しい太陽の光が降り注ぐ。夫が自分の不安を打ち明けたことで、彼女もようやく自分の弱みをさらけ出せるようになったのだろう。
菜頭(ツァイトウ)|孤独で憐れな不良少年
菜頭 / ツァイトウ(台湾語で大根の意味)
演:劉冠廷(リウ・グァンティン)
長男アーハオが、アーフーにとっての眩しい太陽であったのに対し、菜頭(ツァイトウ)は彼にとっての深い暗闇だろう。サイコパスさながらの演技にはゾッとするが、実際、役者の劉冠廷(リウ・グァンティン)のインタビューによると、本屋でみつけた『サイコパス』という本を参考にし、「あまり瞬きしない」などの特徴を演技に取り入れたという。
だが彼は、冷酷に見えて実は寂しく、愛情や友情に飢えていたのではないかと思う。アーフーと同じく、出所後の社会復帰は難しいため、ツァイトウも出所後に結局悪の道に戻ってしまい、友達だと思ったアーフーにも切り捨てられ、アーフーのように自分を守ってくれる親がおらず、映画内で一番孤独な人物となった。
※4:【2019金馬】《陽光普照》劉冠廷為何入圍?他詮釋「菜頭」加入這個小動作就讓你爆雞皮|ELLE
まとめ:暗い水がめの中の自分を受け入れ、眩しい光を迎える家族
『ひとつの太陽』は、長男アーハオの自殺をきっかけに、家族が崩壊から再生に向かう話を描く。特にアーハオが生前に残した「司馬光の水がめの話」や「太陽は万物を公平に照らす」話は、残された両親や次男アーフーが、司馬光のように暗い水がめに隠れるもう一人の自分をみつけて向き合い、家族で太陽の光を浴びるようになったことを暗示していると考えられる。
私が特に感銘と衝撃を受けたのは、やはり父親が最後に告白した息子を守る行動だ。不器用ながら息子を愛そうとするアーウェンを見て、私も一歩勇気を出し、久々にいつも怒られるのが怖い父親に連絡してみた。
余談だが、チェン家の登場人物の名前は、偶然にも登場人物の名前と被る部分がある。
登場人物名 | 役者名 | |
父親 | 阿文 | 陳以文(同じ字) |
母親 | 琴姐 | 柯淑勤(発音が同じ) |
次男 | 阿和(陳建和) | 巫建和(名前が同じ) |
全員が渾身の演技を見せ、主演男優賞など多くの賞を取っているが、自分の名前が一部含まれることで自分を投影できたのかもしれない。なお、長男アーハオのみ役者の名前と登場人物の名前に全く相関性がないのは、おそらく実在する作家をモデルとしているからだろう。
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