台湾映画史上歴代1位の興行収入で、台湾で社会現象を巻き起こした映画『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)。この映画が台湾で大ヒットしたことにより、台湾映画が再び注目を集めることとなった。
今回は、『海角七号 君想う、国境の南』のあらすじ、台湾映画における役者のリアリティ、台湾映画の歴史から見た意義について深掘りしたいと思う。
『海角七号 君想う、国境の南』:あらすじ
魏德聖(ウェイ・ダーシェン)監督の『海角七号 君想う、国境の南』のストーリーはシンプルである。
1940年代、日本が敗戦したことにより、若い日本人教師が台湾人の恋人(友子)を台湾に残し、日本に去る。一方、60年後の現代、ミュージシャンになるという夢に破れた台湾人の阿嘉(アガ)と日本人女性の友子が恋に落ちる。
この2つの時代が、7通の手紙を通じて交錯していくという物語だ。
面白いのが、この2つの時代を通して、日本と台湾の間で男性側と女性側が入れ替わっており、男性が女性にとる態度も変わっている。
1940年代においては、男性が日本人で女性が台湾人であり、男性は女性を台湾に残すという選択を取っている。一方、現代の阿嘉と友子の恋愛では、男性が台湾人で女性が日本人であり、男性は女性に台湾に残るよう説得する。
植民地時代の二国の関係は男女間の力関係に例えられる事もあり、この点において、日本が男役を、台湾が女役を演じることが多かったものの、現代においてその関係性が反転している象徴的な構図である。
そして、1940年代に台湾に置いて行かれた台湾人女性の悲しみも、60年後の現代において阿嘉の「行くな、行くなら俺も一緒に」(留下來,或者我跟你走)というセリフが包み込む。
なお、この映画が上映された当時、台湾で特に人気となったのが、このセリフのようだ。「行くな」と強引に引きとめるだけでなく、その後の「行くなら俺も一緒に」という優しさが台湾女性に受けたようである。
台湾映画における役者のリアリティ
台湾の映画を見ていて面白いのは、映画の登場人物と同じ境遇の役者を起用する点だ。
例えば、『海角七号 君想う、国境の南』の主人公である阿嘉を演じたのが、范逸臣(ファン・イーチェン)である。范逸臣は、元々2002年からバンドを組んでいた。主にバラードを歌い、将来を期待される歌手だったようだ。但し、2004年に、泥酔した状態で道端で小便をしたり、女性芸能人にキスをするなどの醜態をさらし、徐々に人気がなくなっていた。
これは、台北でミュージシャンになるという夢に敗れ、恒春に帰省した青年・阿嘉の姿に重なる部分も多いように思う。
また、日本人女性・友子を演じた田中千絵は、日本ではヒット作に恵まれず、台湾に渡ってからも先が見えない生活を過ごしていたが、台湾生活の悩みをつづった田中のブログを見た魏徳聖監督から、映画『海角七号 君想う、国境の南』のヒロインに抜擢された。
これについても、自身もモデルでありながら、イベントのマネージャーとして雇われている友子の姿と重なる。
その他の台湾映画をみても、同じく魏徳聖監督の『セデック・バレ』においては、台湾の原住民が起用されており、主人公モーナ・ルダオを演じた林慶台(リン・チンタイ)は、本職が牧師でこの映画がデビュー作である。
また、少し古い映画ではあるが、『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』においても、主人公小四は映画内では「張震」が役の正式名称で、父親は「張國柱」、兄は「張翰」という役名だが、この三人は実際の親子で、全員本名で出演している。
有名な役者を起用し演技としてのリアリティを求めるのではなく、役者の実際の人となりを重視してそこにリアリティを追求する姿勢は、日本やハリウッド映画にはあまり見られないため面白い。
『海角七号 君想う、国境の南』:台湾映画における意義
『海角七号 君想う、国境の南』は、恋愛要素を取り入れハッピーエンドで終わる娯楽映画としての側面と、日本統治時代や台湾のアイデンティと向き合う芸術映画としての側面のバランスが上手く取れている。
『海角七号 君想う、国境の南』の意義を考えるため、この映画が上映された当時の台湾映画の状況とそれまでの台湾映画の動向を簡単に見てみよう。
まず、台湾映画は、1980年代から90年代にかけて「台湾ニューシネマ」と呼ばれ、国際的にも大きな注目を浴びた。
但し、その後、台湾映画は衰退していく。2003年には台湾制作映画の売上は、台湾映画市場の1%未満まで落ち込んだようだ。
そのような中、2008年に上映された『海角七号 君想う、国境の南』は、『タイタニック』に次いで台湾歴代映画興行成績のランキングで2位になった。
台湾映画が下火になっていた状況で、いきなり日本統治時代と真正面から向き合うような映画は、台湾の観客には受け入れにくかっただろう。また、娯楽映画としての側面が強すぎては、国際的に評価されにくかった可能性がある。
『海角七号 君想う、国境の南』は、1940年代と現代の物語を上手く交錯させることで、娯楽性と芸術性の両方を兼ね備えている。
また、魏徳聖監督の三部作が、『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)、『セデック・バレ』(2011年)、『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014年)であるが、この三部作の上映された順番も重要だったように思う。
仮に、「霧社事件」を扱った『セデック・バレ』のような映画を最初に上映していれば、反日的な印象も受けるため多くの日本人には受け入れづらかったように思う。
一方、『海角七号 君想う、国境の南』が広く受け入れられた後で、『セデック・バレ』を上映することで、日本統治への批判的なまなざしだけではなく、むしろ日本統治時代と向き合うことで「台湾としてのアイデンティを探る」といった、魏徳聖監督の三部作におけるより重要なテーマも見える気がするのだ。
実際、魏徳聖監督は「台湾人は日本に対して矛盾した感情を抱いている。愛するべきなのか恨むべきなのか。ならば『セデック・バレ』で憎しみの原点を描き、『海角七号』で愛の原点を描こう」と述べている。
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