台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:時代背景と概要

BBCが1995年に選出した「21世紀に残したい映画100本」に台湾映画として唯一選出、釜山国際映画祭(2015年)の「アジア映画ベスト100」においても第7位に選ばれるなど、世界の映画史上に残る傑作『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』。

『グッドフェローズ』や『タクシードライバー』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の監督として知られるマーティン・スコセッシ氏も激賞、台湾ニューシネマを代表するエドワード・ヤン(楊德昌)氏の最高傑作とコメントしている。

マーティン・スコセッシ氏(wikipediaより引用

『クーリンチェ少年殺人事件』は上映時間が3時間56分とその長さもさることながら、内容がやや抽象的で、登場人物たちの解説も少なく、台湾の当時の時代背景について理解していないと難解な印象も受ける。ただ、映画の様々なシーンを読み解くと、登場人物たちの姿を通して、当時の台湾の人々の焦燥感や苦悩が浮かびあがってくる。

今回は、映画『クーリンチェ少年殺人事件』で重要となる台湾の時代背景について取り上げ、その他のテーマについては次回以降深堀りしてきたい。

『クーリンチェ少年殺人事件』の時代背景:二・二八事件、戒厳令、白色テロ

『クーリンチェ少年殺人事件』について考える上で、日本統治時代以降の台湾の歴史について、特に二・二八事件とそれ以降の38年間の戒厳令、その期間に起きた白色テロが重要となる。

第二次世界大戦後、日本が敗北し、台湾の日本統治時代が終わると、台湾は中華民国の一つの省となり、中国大陸の国民党から台湾に行政官が送り込まれた。そして、日本統治時代以前から台湾に住んでいた人々は本省人(原住民、漢民族など)、日本統治時代以降、中国大陸から台湾へ来た人々は外省人と呼ばれるようになった。

国民党軍が台湾に送られてきた状況を、当時の台湾人(本省人)は「犬が去って豚が来た」と揶揄した。犬は日本軍、豚は国民党軍のことで、「犬は吠えるが人を守ることができる。豚はただ食って寝るだけ。」という台湾人の心情を表す。「豚は汚い=汚職が多い」という暗喩も込められていたらしい。

当時、国民党は共産党と中国大陸で戦っており(国共内戦)、軍の精鋭は大陸の前線に送られていた。そのような背景もあり、規律があった日本兵と比べ、中国大陸から台湾に来た国民党の軍人・官僚は規律がなく、教育水準が低かったようだ。

例えば、台湾に来た国民党軍が蛇口から水が出るのを見て驚き、水道の蛇口だけを買ってきて壁につけ「水が出ない」と怒った、という逸話も残っているほどだ。

強姦・強盗・殺人などを犯す国民党軍も多かったが、犯人が処罰されぬことも多々あった。また、外省人が政界要職を占領したり、汚職の多発、経済困窮やインフレ、食料不足、本省人に対する差別など、多くの問題があった。このような状況の中、外省人に対して本省人たちの鬱憤は溜まっていく。その鬱憤が爆発した事件が 1947 年の二・二八事件であった。

1947年、台北市で闇タバコを販売していた寡婦を、中華民国の官憲が摘発し、暴行を加え、商品および所持金を没収した。この事件を契機として、本省人による市庁舎への抗議デモが始まる。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力により鎮圧、外省人および国民党軍の過剰な暴力的弾圧を呼び、1万8,000人から2万8,000人もの本省人たちが二・二八事件で犠牲になったと言われる。

専売局台北分局前に集まった群衆(wikipediaより引用

この二・二八事件以降、台湾では38年という世界最長の戒厳令が敷かれ、国民党政府が反体制派に対して白色テロ(政治的弾圧)を行うこととなる。白色テロの期間、蒋介石率いる国民党に対して実際に反抗するか、そのおそれがあるとされた10万人以上が投獄され、数千の人々が処刑されたと言われる(行方不明の人も多数おり、実際の数字はもっと多いとも言われている)。

実際には理不尽な理由で捕らえられることもあったよう。例えば、高校生が読書会に参加したという理由だけで捕まえられ、10年間離島に追放、時には処刑されることもあった。ある日突然政府に連れていかれるような日々を過ごす中、台湾の人々は政治的な発言を恐れ、二・二八事件や白色テロ、国民党について口を閉じ、何も話さなくなっていった。

二・二八事件は外省政権による本省人の弾圧であったものの、白色テロの犠牲者には外省人も多く含まれる。二・二八事件以降、1948年から1987年に戒厳令が解除されるまでの38年間という長い間、集会や結社、言論の自由が厳しく制限されるなど圧制が敷かれ、台湾は抑圧的で暗い時代を過ごすこととなる。

『クーリンチェ少年殺人事件』の概要

『クーリンチェ少年殺人事件』は、台湾における戒厳令下の時代の中、1961年に実際に台北で起きた、14歳の少年によるガールフレンド殺人事件を元にした映画である。戒厳令が敷かれた抑圧的な時代背景を反映して、映画は全体を通して暗いシーンが多い。映画の中で夜間に停電するシーンが多いのは、白色テロの下、ある日突然に政府に連れていかれるような恐怖を象徴している。

『クーリンチェ少年殺人事件』は台湾ニューシネマを代表する映画監督エドワード・ヤン(楊德昌)によって1991年に発表された。クーリンチェ少年殺人事件を引き起こした学生はエドワード・ヤン氏と同じ学校に通っていたよう。そのような背景もあり、当時思春期であったエドワード・ヤン氏に大きな衝撃を与えたようだ。

エドワード・ヤン氏は1947年に上海で生まれ、1949年に家族と共に台湾へ移り住んだ外省人である。『クーリンチェ少年殺人事件』の登場人物のほとんどが、エドワード・ヤン氏と同じ外省人であり、映画の中では主に外省人たちの苦悩が描かれている。

共産党に敗れ台湾に渡ってきた外省人は、元々台湾を「仮の住まい」としていた。但し、作中の1960年代においては、中国大陸に帰ることは徐々に夢物語となっており、外省人の親世代は中国大陸に帰るという「理想」と外省人として台湾で生きていかなければならないという「現実」という「理想」と「現実」のギャップに苦しんでいる。

このように、様々な「理想」と「現実」が衝突し、登場人物が苦しむ姿が『クーリンチェ少年殺人事件』では描かれている。

作中、一番わかりやすい形で「理想」と「現実」のギャップが露呈したのが、小四の「理想主義」と小明の「現実主義」であり、その他にも様々な小四の「理想」が「現実」に飲み込まれていった結果、小四は小明を殺害してしまうこととなる。

今回は、『クーリンチェ少年殺人事件』の時代背景と概要について考察した。次回は、小四の心境の変化を読み解く上で重要となる登場人物、小四の父親とハニーについて考えていきたいと思う(台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:小四が尊敬した「父親」と「ハニー」参照)。

また、小四の「理想主義」と小明の「現実主義」の構図や、小四の心理的背景については、台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:小四の「理想主義」と小明の「現実主義」を参照。


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