台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:実際の事件と映画の比較

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』は、台湾映画の中でも屈指の名作である。上映されたのはかなり昔の1991年だが、台湾人であれば、若者でもその名を知っているくらい有名だ。

私も学生時代からこの映画の存在と、牯嶺街で起こった実話をもとにしていることを知っていたが、4時間にわたる長さと、暗そうなタイトルで何となく敬遠していた。ただ、夫の誘いで見てみると、その魅力に深くはまってしまった。

今回は、実際に起きた事件の概要と映画との相違について紹介したいと思う。

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』実話

この映画は、1961年に実際に起きた少年殺人事件を脚色したものである。犯行した少年は、映画と同じく建国中学の学生だったが、実際の事件は映画と少し異なる。(映画の概要と時代背景は「台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:時代背景と概要」を参照)

1961年6月15日の22時、台北市南海路の警察署に、ボーイスカウト風の制服を着た少女が牯嶺街という道で殺されたという通報が入った。犯行現場はアメリカの新聞社の近くであり、政治的な事件の可能性があると思った刑事がすぐ現場に駆け付けると、ある少年が少女の遺体を抱き続ける。少女は22時20分に近くの台湾大学病院に搬送されるものの、すでに息絶えていると診断された。

泣き続ける少年を不審に思った刑事は、再度少年に少女との関係を問いただすと、「兄でもあり、婚約者でもある」と答えた。おかしいと思った刑事は、すぐさま少年を警察署に連行し、調査の結果、少女は建国中学初等部二年甲組の劉敏(15歳、山東人)、少年は建国中学を退学した二年丙組の茅武(16歳、浙江人)であることが分かった。

そして、少年の自白によると、ことの顛末は以下の通りであった。

「僕は昨年3月にバスを待っている時に彼女と出会い、5月に学校の廊下ですれ違った時に『愛してる』という紙切れをもらったのを機にデートするようになった。」

「彼女はもともと他の中学の先輩と付き合っていたが、僕と付き合い始めると彼と別れた。交際期間に一度だけ大人の関係になったが、それ以降は妊娠したくないことを理由に、キスだけするようになった。」

「その後、建国中学の他のクラスで、『海賊幇』という不良グループに属する同級生も彼女にアプローチしていることを知ったので、対抗するために『璧玉幇』というグループを作り、仲間を増やした。『海賊幇』と一対一で殴り合い、学校から処分を受けたこともあった。」(「幇」というのは、ギャングや不良グループでグループ名につける言葉、「~組」「~連合」のような意味)

「4月にかばんにナイフを隠し持ったことがばれて退学になり、彼女と会う機会も徐々に減った。それなのに、彼女は同じクラスの馬積申と親密な関係になっていた。僕は馬積申に彼女に近づくなと警告したが、聞かなかったので、アメリカ新聞社の前で決闘しようと申し出た。」

「馬積申は日本刀を持ってくると聞いたので、僕もボーイスカウト用の刀を持っていたが、彼は怖くなったのか、結局自転車を捨てて逃げた。ちょうど彼女が放課後で出てきたので、僕は彼女と一緒に牯嶺街まで歩き、『馬積申と一緒にいるのは嫌だ』と言うと、彼女は『大きなお世話だ』と答えた。『それなら君を殺すよ』と僕は言ったが、『そんなことできるの?』と言われ、『僕には殺せない』と伝えた。4回ほど馬積申と一緒にいるなとお願いしても聞かないので、カッとなって彼女の胸に刀を刺し込んだ。続けて額に二回、背中に二回、肩にも二回刺し込み、彼女の制服が真っ赤になったことに気づいてから手が止まった。」

当時の新聞記事(「管仁健觀點》重返牯嶺街的少年殺人與被殺」より引用)

本事件が台湾社会に与えた波紋

この事件が起きた後、未成年が男女関係で犯行に及んだことで、台湾社会で大きな波紋を呼んだ。亡くなった少女劉敏の父親は、国民党と共産党の内戦(国共内戦)の有名な戦役で殉死した通信官で、母親と当時2歳だった劉敏と二人で台湾に渡り、女手一つで娘を育て上げたという。事件当日、娘が亡くなったことを知った母親は、病院に行ってお別れをすることもなく、自宅で金の指輪を飲み込み自殺をしようとしたが、無事命は助かった。

少女劉敏を7回も刺し、致命傷を与えたことから、検察官ははじめ犯行少年茅武を殺人罪で起訴した。ただ、未成年で感化の可能性があることも考慮し、最終的には10年の懲役が下された。

なお、新聞などでこんなに個人情報を開示して問題ないのか不思議に思ったが、それには理由があったらしい。

茅武は中国浙江省出身で、父親は中央研究院で働いていた。家では五番目の子供で、長男と次男は台湾大学に通い、長女はすでに教師となり、次女も名門の北一女中に通っていた。比較的恵まれている家庭環境であると推測される。一方、少女劉敏は山東省出身で、女手一つで娘を育てた未亡人の母は絶望のあまり自殺未遂した。

この両家の出身は、当時の国軍にとってはデリケートな話題であった。60年代の台湾は抑圧された環境であり、出身地や民族などの紛争が起こらないよう政府は神経をとがらせていた。また、国共内戦時の際、国民党軍には山東省から募集した農民が多くいたこともあり、「裕福な浙江人子弟が、貧しい山東人母娘を迫害した」という印象を社会に与えてしまうことを政府は恐れた。そのため、本事件が単なる「子供の恋愛話がもつれた殺人事件」であると説明すべく、少年が少女に渡していた恋文の内容などをメディアに公表することになったという。

実際の事件と映画の比較

実際の事件と映画の人物設定を比べると、似ている部分も少なくない。例えば登場人物の命名について、映画での「小四」は四番目の子供なので「小四」だが、実際の少年「茅武」は、五番目の子供なので「武(五と同音)」と名付けられている。映画の「小明」の「明」は、実際の少女「劉敏」の「敏」と発音が似ている。また、事件の導火線となった三角関係の恋敵である「小馬」は、史実でも「馬」という苗字である。

映画で小四が小明のことで小馬ともめるシーン

その他、小四の家庭環境や、姉が高学歴であること、少女との恋で不良グループに踏み入れたこと、日本刀のモチーフなど、実際の事件との類似点が多い。

一方、小明の母親が自殺した件や、小四の兄の設定、親の職業など、細かい部分では実話との相違が見られる。

ただ、監督エドワード・ヤンが「当時の時代状況だと、他の人が同じような事件を起こす可能性があった」と話したように、この事件は白色テロ・戒厳令の抑圧された時代、外省人の苦悩などにより、必然として起きてしまったことであり、この映画も小四の犯行動機や男女関係だけに着目するのは無粋ではないかと思うので、事件の真相を探求するのはこの辺にしておきたい。(エドワード・ヤンのインタビューについては「台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:小四の「理想主義」と小明の「現実主義」」を参照)

小四役は親子が実名で出演していた!

ちなみに、小四は映画内では「張震」が役の正式名称で、父親は「張國柱」、兄は「張翰」という役名だが、この三人は実際の親子で、全員本名で出演している。張震は今も俳優として活躍しており、2017年にクーリンチェの日本公開に際し日本語で挨拶をしている。

映画内では特に父親・張國柱と張震親子の演技に心を揺すぶられたが、二人の心境については、夫が「台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:小四が尊敬した「父親」と「ハニー」」ですべて代弁してくれたので、ぜひご覧ください。


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