『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の感想:小四の「理想主義」と小明の「現実主義」

『クーリンチェ少年殺人事件』は、台湾における戒厳令下の時代の中、1961年に実際に台北で起きた、14歳の少年によるガールフレンド殺人事件を元にした映画である。

当時の台湾では戒厳令が敷かれ、白色テロが横行、台湾社会は抑圧的で暗い時代を過ごしていた(『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の時代背景については、台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:時代背景と概要を参照)。

小四が尊敬していた父親とハニーという二人の人物も、白色テロという厳しい「現実」に敗れていき、小四が小明を殺害する結末に繋がる一因となっていく(小四の父親とハニーについては、台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』:小四が尊敬した「父親」と「ハニー」)。

今回は、小四の「理想主義」と小明の「現実主義」について深堀りしていきたい。

小四の「理想主義」と小明の「現実主義」

小四と小明の考え方の違いは、二人が出会った当初からある程度描写されている。

初めて小四が小明と出かけた際、二人は四人の不良に絡まれてしまう。小明は「やめて」と止めるが、小四は勇敢に四人の不良に立ち向かっていく。

このように一人で大人数に立ち向かう構図は、ハニーが敵対する217グループのコンサート会場に乗り込むシーンと似ている。ここからも、小明はハニーと同じ「理想主義者」であることが分かる。

確かに、大人数にも屈せず、立ち向かっていく姿勢は格好がいい。但し、小明はその行為を良しとしないのである。実際、小四が四人を追い払った後、小明は「方向が違う」という理由で一人先に帰ってしまう。ここからも「理想主義者」の小四と「現実主義者」の小明という構図が読み取れる。

小明は、父親はおらず、母親は病気がちで、住む場所を転々としながら住み込みで働く肩身の狭い生活を送っている。中国から台湾にやってきた外省人のため、台湾で頼れる人もほとんどいない。

そのような状況の中では、生きていくことに精一杯であり、「現実主義者」にならざるを得ない。現実を逃避し、夢や希望にすがっていては、自分も母も生きていけない環境なのである。

小四の最後の希望

小四と小明の関係が壊れていく前の、大木の下に二人で座る光景は何とも美しいシーンだ。

この時、小四の憧れのハニーは殺され、白色テロにより尊敬の対象であった父親が変わってしまい、小四の拠り所は小明のみとなっていた。この直前の出来事である、父親の変化に小四が失望したシーンと比較すると、明暗が対照的である。

但し、このシーンにも二人の綻びは見える。「次はいつ会えるの?」と尋ねる小明に、「試験に合格し、昼間部の学生になったら会える」と答える小四。これに対して、小明は「ハニーの台南話みたい」と呟く。小四はハニーと同じで、「現実」が見えておらず「理想」を並べてばかりとの皮肉にも聞こえる。

この後、小四と一緒に小馬の家に訪れたことで、小明は小馬の家がお金持ちであることを知る。小馬の豪華な家をみる小明は何とも明るい表情だ。皮肉なことに、これがきっかけとなって、小明は小馬の家に住み込みで働くことになり、小四は小馬と小明に激怒、最終的に小四は小明を殺害してしまう 。

なお、小馬の家で、小明が小四に誤って発砲してしまうシーンがある。小馬がお金持ちであることを知り、小四の最後の「希望」であったはずの小明の気持ちは、既に小馬に動いていたのかもしれない。ともすれば、銃を撃つこのシーンは、小四の最後の「希望」が打ち砕かれた象徴的なシーンとも読み取れる。

日本女性の写真の意味

日本統治時代以降に台湾に移住してきた外省人の中には、日本人が撤退したために空き家となった日本家屋に住む人が多かったようだ。映画においても、小四、王茂、小馬などは日本家屋に住んでいる。

日本家屋の屋根裏には軍刀などの武器が隠されていたことも多かったようで、王茂も日本の女性が自殺するときに用いた刀を自宅で見つけている。この時、小四はそこにあった日本女性の写真に興味を持ち、その写真を自宅の寝処に飾っている。

いざというときには自ら自殺するという日本人女性の話が、小四にとっては美しい話に思えたのかもしれない。様々な男に擦り寄る小明に失望しつつあった小四にとって、美しく散るという日本の女性像が「理想的」に思えたのだろう。

小四の心理的背景

映画『クーリンチェ少年殺人事件』において、ハニーや父親、小明というように、主人公小四の「希望」や「理想」は次々と打ち砕かれていった。但し、「希望」や「理想」が打ち砕かれたのは小四だけではない。

ハニーは殺害され、父親は白色テロによって自身の「理想」を捻じ曲げられ、息子を失望させてしまう。小馬は小四という唯一の友達を失い、王茂が小四のためにと持ってきたテープはあっけなく捨てられてしまう。

戒厳令下の社会においては、人々は「理想」や「希望」を持てず、抑圧された暗い社会で厳しい「現実」と向き合うしかなかったのである。

映画の最後、小四の家でラジオが流れ、学校の合格者の名前が淡々と読み上げられていく。本来であれば、家族は小四の名前がそこで呼ばれることを願っていたはずであり、何とも悲しい終わり方となっている。そして、無機質に名前が読み上げられるその音は、白色テロの下において逮捕される人の名前が読み上げられていくような恐ろしさも感じてしまうのだ。

最後にはなるが、『クーリンチェ少年殺人事件』についてのエドワード・ヤン氏のインタビューを見てみたい。

茅武(小四の本名)殺人事件は、当時の時代状況を実によく反映している。たとえ、茅武がこのような事件を起こさなかったとしても、他の人が同じような事件を起こす可能性は充分にあった。

私にとって興味深かったのは、茅武という特定の人物の生い立ちやその殺人の動機ではなく、戒厳令・白色テロという環境下においては、このような事件を誰もが起こす可能性があったということだ。

私の出発点はやはりこの時代にある。多くの人は、戒厳令・白色テロの時代のことを思い出したくはないが、この時代は我々の世代にとってはとても重要な時代であった。台湾の今日があるのは、この時代と非常に深い関係がある。この時代には、台湾の現代をよりはっきり見極めるのに必要な手がかりが多くある。

これが、私がこの映画を作った最大の動機であった。

《牯嶺街少年殺人事件》誕生記

小四がこのような殺人事件を起こしたのは、小四の育った家庭環境や人格によるものではなく、戒厳令下の社会では人々は将来への「希望」が持てず、そのような抑圧された社会では誰もが同じような事件を起こす可能性があった。それほどまでに、戒厳令下の時代とは「希望」が持てず暗く厳しい時代だったのである。

『クーリンチェ少年殺人事件』を見ると、白色テロの厳しい「現実」を突きつけられる。4時間の映画というと身構えてしまうが、そのような厳しい社会で生きる逃げ場のない登場人物たちの心情が伝わってくる名作であった。


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